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REALE VOICE Vol.6 フォワード 田辺祐太郎 TANABE YUTARO

REALE VOICE Vol.6 フォワード 田辺祐太郎 TANABE YUTARO

サッカーで何かを成し遂げたい
その思いを実現するために
今、ゼロから本気で海外にチャレンジする

REALE WORLDは、Take Action Make the Futureを掲げ
共感くださる多くの方々からの応援を受け活動を行っています。

ヒーロープロジェクトも、その1つ。

みなさんからの応援=Pay it Forwardが
栗山選手の海外チャレンジの支えとなり
それを受けた栗山選手の活躍と寄付=Pay it Forwardを受けて
田辺選手が海外にチャレンジします。

自分が受けた恩を、他の誰かに手渡す。

今回、そのバトンを受け取った田辺祐太郎さんにインタビューしました。

小中高そして社会人とサッカーを続ける中で、自分の手中にずっとあった
「サッカーで何かを成し遂げたい」という思いを実現すべくチャレンジする
彼と、彼をガイドするプロサッカー選手・サントス理事の思いをお届けします。

REALE VOICE Vol.6 フォワード 田辺祐太郎 TANABE YUTARO

ー サッカーは何歳からはじめたんですか?

サッカーを習い始めたのは小学3年生の時。休み時間にみんなでサッカーするのが楽しくて、クラブチームでもサッカーしたいと思ったのがきっかけです。チームに入っている友達が何人かいたので、折り紙に友達の名前とチーム名、練習日を書いてリストにして母に相談。まずは土日だけのチームに入りました。

後で知ったんですけど、父はあまり賛成ではなかったようです。その先、何かに繋がるとは思えなかったみたいで。でも母が「やりたいならやってみたら」と言ってくれたんです。母は子どもの頃、あまり習い事をさせてもらえなかったようで、子どもには好きなことをしてほしかったみたいです。

チームに入ってみてどうでしたか?

本気のサッカーというより「エンジョイ系」で、サッカーの楽しさを教える感じのチームでした。入ってすぐ試合にも出れて、飛び級もして、ひとつ上の学年と一緒にやったりして楽しかったんですけど、強くなかったのでなかなか難しかった・・・。

難しかったとは?

負けることが多くて勝つのが難しかったんです。僕はフォワードで、6年生になった時、僕が点を決めないと負けてしまうからチームを背負ってる感じがして、なかなか難しかった。

でもいつも「決めてやろう!」って思ってました。点を決めるのが本当に好き。「この相手強いけど、どうやって点決めようか」っていつも考えながらやってました。

ー 中学でもサッカーは続けたんですよね。

はい、学校のサッカー部に入りました。地元では一番強くて、県大会にも出るようなサッカー部でした。特に僕の年代はすごく強くて、県トレセンとか市の選抜に選ばれているような人がほとんど。「こいつすごいわ!」と思える人の中で毎日練習できたのは楽しかったし、成長できたと思っています。

ー 「悔しい!」って思うことはありましたか?

たくさんありました。大会に負けて悔し泣きもありましたし、スタメン争いもあって、AチームとBチームを行ったり来たりが激しかったので、「なんであいつに勝てないんだ!」とか、悔しい思いもたくさんした3年間でした。

悔しい時、どうやってその状況を乗り越えていたんですか?

「なぜだ?」って、まずは自分で考えるんですけど、解決出来ない時は同じフォワードですっごく上手い親友によく相談しました。その友達のお陰で諦めずに続けることが出来ました。

ー 今でも忘れられない中学時代の思い出はありますか?

「1年生大会」というのがあって、それは市大会、南部大会、県大会と勝ち進んでいく大会だったんですが、南部大会の時に前半で2失点したんです。僕らは強いという自負があったから、「こんなところで負けちゃうのかな」ってみんな焦ってきて、僕も「やばいやばい!」ってなっていたんですが、ふと「でもさ、ここで点決めたらヒーローだよな!」って閃いて。

ー その状況で、そんなふうに思ったんですか!

とはいえ、それって簡単なことじゃないでしょ。でも、チャンスが来たんです。前半終了間際、サイドから抜け出した選手がいて、「もしかしたらボール来るかも」って、「来い、来い、来い!」って思いながらめちゃくちゃ走ったんです。

そうしたら、僕の目の前にボールがこぼれて来て! 相手が触ってコースがズレたんですけど、スライディングでなんとか足伸ばして振ったら、ゴール決まって! そのタイミングで前半が終わりました。

1−2で折り返せたことで、ハーフタイムでチームの雰囲気がガラッと変わり、「いけるかもしれない!」ってみんなの気持ちが変わって、後半3−2で逆転して勝利。「あの1点、デカかったな!」って、あの時頑張って良かったなって、今でも忘れられない試合です。

ー 聞いていても気持ちいい! 直感的に行動することで勝利に繋げましたね。
  高校もその勢いで進まれたんですか。

サッカーの強い公立高校に入りました。部員が3学年で280人くらいいて、たくさんの人の中で揉まれることで成長出来るかなと思い学校を決めたんですが、それだけ人がいたら上手い選手もたくさんいるわけで。高校サッカー選手権でテレビに映るような高校で、「もしかしたらテレビに出れるかも」なんて思って入学しましたが、トップチームにも行けず、公式戦のユニフォームも一度も着ることはありませんでした。本当に毎日嫌だった・・・。

ー そんな状態だったら、サッカー部を辞めるという選択肢もあったでしょう。何が自分を支えたんですか。

なんですかね・・・。一番は、ここでポイって投げ捨てたら何も残らないなって思ったからだと思う。ここで諦めたら今までのことがもったいないなって。

裕福な家じゃなかったから、中学の時から毎週のようにバスや電車で遠征したり、合宿もあったり、母にはだいぶ負担をかけてきたのに、ここで辞めたら母に顔を向けられないと。

その時から、僕にはサッカーで「何かを成し遂げたい」っていう思いがずっとあるんです。今は「プロ契約したい」っていう気持ちが一番にあります。

ー 何かを成し遂げたい。その思いで卒業後もサッカーを続けたんですね。

同級生のほとんどは、卒業と同時にサッカーを辞めました。僕は大学でサッカーをすることも考えましたが、関東の大学サッカーはレベルが高く、強い大学に行くと高校の時と同じことを繰り返すかもしれず、それではもったいないし、逆に弱い大学に行くと、試合には出れても、その先何に繋がるのかなと思うと、上を目指すのは多分無理だな、と。サッカーを続ける選択肢として、「海外」ということは、この時から頭には浮かんでいました。

ー そのタイミングではチャレンジしなかったんですね。

ヨーロッパに行きたかったけれど、実力的にも金銭的にも厳しい。プロになるには自分が成長するしかなく、そのためには何が一番いいのかと考えた時、社会人チームということが浮上したんです。それも、大学卒業したての人や、海外でプロやって帰国したような人がいる、熱量の高いチームに行きたい、と。

高校の担任の先生がサッカー部のトップチームのコーチだったので相談したら、静岡県のチームに紹介してくださって、卒業後は親元を離れ、社会人として仕事をしながらサッカーを続ける道を選びました。

チームには、元プロとか東海リーグの大学でやっていた選手たちがいて、ものすごくレベルが高くて、ついていくのが厳しいこともわかっていたんですけれど、長友選手がインテルに行った時、レベルが高くてもその環境で練習していれば、自分の身体が慣れてくると言っていたのをニュースで見たことがあって、「これに慣れたらもっと成長出来る、諦めずに喰いついていこう」と自分に言い聞かせて2年間頑張りました。

ー 喰らいついていけましたか?

成長は感じました。「入って来た時と全然違うよ」とまわりから言われたりもしました。しかし、実力は足りず試合に出ることはありませんでした。チームはリーグでの位置をどんどん上げていきたい時期で、監督もフォワードには信頼のおける選手を起用しますよね。

ー 監督の信頼を得るにはどうしたらよかったんでしょう。

簡単に言ったら「得点する」ことだと思うのですが、僕に求められていたのは、今考えるとそこじゃなかったんじゃないかと思うんです。

ゴールという結果だけじゃなく、ボールを受けて味方に預けるというような、それ以外の部分で、僕へのパスから点が奪われてしまうシーンが目立った。そうなると、ちょこちょこ点決めても起用するには至りませんよね。

ー だとすると、自分なりに問題解決というか、自分を自分で脱皮させなきゃいけない。

そうですね、今にして思えばそれをしなくちゃいけなかったんだけど、その時は「何で点決めているのに使ってくれないんだろう」と人のせいにしてたところがありました。せめてBチームの公式戦で活躍したら変化が起こせるかもしれないと、会社の昼休みに筋トレして体づくりもしましたが、チームも負けて活躍も出来ず、変化を起こせませんでした。

ー そして、転機がやってきた。

はい。選手の入れ替えが激しく、試合を見てるだけの時間が増え、サッカーをするために来たのに、練習に来てアップして終わる。「これ時間の無駄だな」と思うようになったので、だったら自分で練習した方がいいと決断。

チームを辞め、自分で練習できるところを調べていた時に、Bチームにいた選手から「練習行ってみない?」と誘われたのがREALEでした。

電車で往復2時間。交通費もかかるんですけれど、毎週練習に参加しました。そんなある日、サントスさんから「海外興味ないか」と言われたんです、「本気で海外に行きたいと目指すならサポートするよ」って。高校卒業の時、海外に行きたいと思った気持ちが蘇って、「本気で目指したいです!」って伝えていました。

3月で仕事も辞めて4月からはサッカーだけの生活に切り替えて頑張っていこうという話をし、その時は4・5・6月の3ヵ月でトレーニングして7月末くらいに海外のチームを探す計画でしたが、サントスさんがネパールリーグに行くということになったので、それと同じタイミングで一緒に行くぞ!となり、今は急ピッチで体を作っているところです。

ー 急展開ですが、本気で海外を目指し始めて、今はどうですか。

「プロを目指す」ってことが、今までと全く変わりました。今はサントスさんや玄氣さんと一緒に、一日中ずっとトレーニング、ずっとサッカーのことを考える、ずっと身体のことを考える、自分が強くなるため成長するためっていうことを考えて生活をしています。サッカーだけに集中して取り組める環境の中で、ガラっと生活が変わりました。本気ってこういうことなんだと、次元っていうか、熱量の違いというか。24時間サッカーのことを考えている。今まではサッカーの時間、練習の時間だけやればいい、だったんだなって、そこですね。

ー ネパールに行くのは、ワクワクしますか?

楽しみですけど、不安も結構あります。やれるか、大丈夫かみたいな。ネパール行くまでに、ここまでやり切った、これだけ追い込んだって思って行くようにしたいけど、まだまだ足りてないし、まだいけると思うので、「自信」じゃないですけど、これだったら、これで、こんなにやったんだからって気持ちを作っていかなきゃと思っています。自分を追い込む。客観的に、まだまだいけるぞという目で自分を見て追い込んでいかないといけない。

サントスさんというプロサッカー選手がいて、身体とかスピードとかボール扱いとか別次元で、これがプロなんだなって感じましたし、これについていけるようになったら、僕はもっとやれるんだと思えるから、環境っていうところでは、上手くなる強くなるしかない環境にいる、と思っています。

ー サッカーで「何かを成し遂げたい」その思いが原動力。みんなが「ヤバい空気」になっている時も、「ここでやったらヒーローになれる」と閃く、それは素晴らしい才能だと思います。ネパールでたくさん経験して来てください。そして、必ず強くなって帰って来てください。プレッシャー掛けていますが、諦めなければ、絶対そうなります。お母さんへの感謝の気持ちと「成し遂げたい」その思いがある限り!

  • 【プロフィール】
  • Tanabe Yutaro
  • 田辺 祐太郎
  • 国籍 :日本
  • 生年月日:2002年11月15日
  • ポジション:フォワード

埼玉県生まれ。
2011年、小学3年生からサッカーを始める。
地元の「川口リトルサッカークラブ」でプレー。
2015年、埼玉県川口市立戸塚西中学校サッカー部に加入し3年間プレー。
2018年、埼玉県立浦和東高校サッカー部に加入し3年間プレー。
2021年SS伊豆に加入し、2023年退団。現在に至る。

プロサッカー選手・サントス理事から、田辺選手へのメッセージ

「絶対に諦めるな」

ヒーロープロジェクトを通して、田辺選手を通して、「結果的に不可能はない」ということを、私はみんなに見せたい。

今、彼は、彼のサッカー選手としての可能性を信じる人が誰もいない中で、海外に挑戦し、プロになりたいと思っている。
この世界には「不可能」はない。目的を持ち、目的に到達する目標を持ち、それを成し遂げるんだという強い思いで、すごい努力をするならば、そしてそこをちゃんとガイド出来る人がいるならば、彼に「不可能」はない。

今の時点で、彼はサッカー選手として全く足りていない。足りていないけれど、自分の目標があって、そこにトライし続ける、本当に頑張り続けることをしたら、いつか絶対届く。
重要なのは、「絶対に諦めないこと」だ。やってダメでも何回もトライし続ける。最後まで、絶対プロになって活躍するところまで、その自分がいるところまで、「諦めない」。それが大切で、それが出来るかどうか「だけ」。重要なのはそこなんだ。

まだ20歳なんだよ。10年間、諦めずにやり続けたら、絶対どこかでプロになれる。だから、自分が掴みたいものを掴むまで、絶対諦めないということが、何度も言うけど大切なんだよ。田辺選手は、それが出来る人。一番重要な「サッカーが好き」っていうことを、田辺選手から感じたからね。

ヒーロープロジェクトには、キラン選手がいる。ネパール代表の正ゴールキーパー。絶対諦めないことにかけては、彼は、ずば抜けたモデルだ。
彼は「努力は絶対隠れない。絶対その姿を現す」と言っている。それは、誰にも信じてもらえず、試合に起用されることもなかったところから努力し続け、不動の地位を掴みとった彼だからこその言葉。彼はそれを手にした今も、努力し続けている。自分の可能性を信じ続け、決して諦めない。

ヒーロープロジェクトには、栗山選手もいる。彼との出会いは、一本のペットボトルだった。練習の時、さりげなく自分に渡してくれたペットボトル。その瞬間、私は栗山を応援することを決めた。
田辺選手は、REALEの大人のサッカー練習に往復2時間かけて通って来ていた。「サッカーが出来る」、ただそれだけで2時間かけてやって来る。「サッカーがしたい」その思いに、私は彼を応援することを決めた。

栗山選手はペットボトル、田辺選手は電車。「そんなこと?」って、人は不思議に思うかもしれない。でも、こういうポイントってすごく重要なんだよ。
人が「何か掴むポイント」は、実は何気ないところにある。そして、どこかちょっと他と違って「おかしく」ないと、人と同じでは絶対出来ないんだよ。さらに、それは意図してできることでも、ない。

「おかしい」証拠に、現時点において、田辺選手の身体はサッカー選手としての筋肉が本当に無い。海外に行くことになった今、急ピッチで本格的なトレーニングをしている、全身の痛みに悲鳴をあげながらね。
これって筋肉痛というよりも、もはやケガなんだ。筋肉が壊れる。だけど、プロになる、海外で戦うなら、その身体を作りたいならば、やり続けなきゃいけない。弱音を吐きそうなのが顔に出る。「辛い時に嗚呼って顔するな! 笑いなさい! ワクワクしなさい!」と言われながらやっている。

大抵の人はそこで不貞腐れるんだ。でも、田辺選手は違う。そこで気持ちを切り替えようとする。これってすごく難しいんだよ。でも、彼は一生懸命切り替えようする。その姿が見てとれる。そういう人は、絶対成長する。だから「諦めるな」なんだ、ネバーギブアップ!

どれだけ早くプロになるか、一日でも早くプロになるにはどうしたらいいか。それだけを考えたら、自分に何が必要なのかが明確になる。それをすればプロになれるのだから、自らやるようになる。もっとこれをしようとか、空いた時間あるからこれしようとか。時間をどんどん有効に使えるようになると、自分が変わってくるのがわかる。そうなって欲しいから、私は「ガイド」をする。何を「ガイド」したらいいかを、私は経験で知っている。ヒーロープロジェクトで私がやっているのは、そういうことだ。

田辺選手はいいもの持ってる。ただ本当に、今まで何もしてこなかった。だから、ここから本当に努力し続けたら大きいと思う。そもそも可能性のない子には声は掛けないからね。
彼には、人としても、サッカー選手としても、良くなって欲しい。そのために、私は自分の知ってることをすべて教える。だから、選手としても人としても、どうしたらより良くなれるのか、自ら考えて欲しい。そして努力し続ける。努力していったら絶対変わるから! 
今まではそこまで考えてやってこなかったはず。だから、今は分からないことだらけだと思う。ミスもするだろう。だけど、どうしたいとか、どうしたらいいとか、自分で考え始めると自ら自分を正し始めるから、そうなったらどんどん上手くなる。

「自ら考える」こと。これが、何事においてもすごく大切なんだよ。教えてもらうのを待つのではなく、自分で「どうしたらプロになれるのか」って考えてやるようになると、アドバイスされた時、「あぁそうか!」ってスパークして、そのアドバイスを爆発的にプラスの力に変えられるんだ。何も考えてないと、言われた通りにする「だけ」だから、上手くはなるけどプラスの力には変えられない。ここってすごく大きいポイントだから、覚えておいてほしい。

取材・原稿/青豆礼子