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REALE VOICE Vol.4 江の島FC 御手洗 輝 MITARAI Kou
レアーレの「挨拶」と「感謝」が
「サッカーが好き!」その熱い思いで人生を切り拓く
自分を支え続ける!
この春、高校を卒業して社会人一年生となった御手洗輝さん。「今まで本当にサッカーのことしか考えてこなかったんで!」。屈託なく笑う横顔には、その言葉通り、サッカーが好きな気持ちが溢れんばかりです。
そんな彼が話してくれた、レアーレと高校でのサッカーの日々のこと。ずば抜けたスター選手の煌めくような話ではありません。しかし、その彼の思いと考えと行動は、周囲に変化を起こしていきます。まるで一滴の小さな水の玉が、水面に落ちて静かに波を起こしていくような「一滴の力」。REALE WORLDが思い描く世界は、こうして作られていく。その一つのストーリーを聞かせてもらったと、取材を終えて感じています。
一人ひとりの、TAKE ACTION MAKE FUTURE. 御手洗輝さんの「一滴の力」に触れてください。
―― 今回は、シューズなどのご寄付、ありがとうございました。
持っていても使わないし、でもまだ使えるし、どうしようかと思った時に、レアーレのことを思い出して「そうだ寄付しよう!」と。役立ててもらえたら嬉しいです。
―― 巣立っていった子どもたちが、アクションを起こしてくれるのはとても嬉しいです。輝さんがレアーレと出会ったのはどんなきっかけだったのですか?
レアーレに入ったのは、小4の時。それまでは、サッカーは単純に遊びでしかなくて、学校の休み時間に友達とやっていたのですが、一緒にやっていた子から入らないかと誘われて。最初は断ったんです。
―― 断ったんですか?
夜の練習だと聞いていたし、遊びで十分楽しかったし。でも、翌日もその子が誘ってくれて。「仕方ないなあ、行ってみるか」という感じでした(笑)。行ってみると、チームみんなで真剣にやる、試合もやる、その楽しさにハマって「これは入るしかない!」。両親は基本的に何でも挑戦させてくれるので、レアーレのことも「行ってみたら」と応援してくれて。
――そこから中3までレアーレでサッカーをしたんですね。
はい。レアーレに入ってサッカーがますます好きになりました。ただ、当時はまだジュニアユース(中学生)がなく、中学校にもサッカー部がなかったので、中学でサッカーするにはどうしたらいいか、ずっと考えていました。彩さんやコーチたちも検討されていた時期で、「レアーレに中学生チームができたら入りたい!」と伝えにいったことを覚えています。
結果、中学生チームができて、もう本当によかったです! 僕の希望は「レアーレでやりたい!」だったから。もしできなかったら、遠くのクラブチームに行くか、違う部活に入るしかなかった。今思うと、人生の岐路だったのかなって思います。
―― 輝さんがそこまで「レアーレでやりたい!」と思った理由って何だったのでしょう?
レアーレは、ネパールにもチームがあって交流があったり、合宿にも行くなど、いろんな体験ができるところが良かった。自分達は、F1レーサーを養成している野田レーシングアカデミーさんと交流させてもらいましたが、サッカー以外にも楽しいことがあってレアーレはいいな!と思っていました。
でも基本は、やっぱり友達とサッカーができるってことです。純粋に楽しかった、小学生の時は特に。伊東にいて「サッカーができる環境が用意されている」。そのレアーレでずっとサッカーをやっていきたいと思ったし、その日々の中で「もっと上手くなりたい!」と思うようにもなったんです。さらに上を目指そう、プロになりたい。そういう目標ができたのも、レアーレという「サッカーができる環境」があったから。とにかくひたすらサッカー、サッカー、サッカーでした!
―― 高校でももちろんサッカーを続けられたんですよね?
高校は、地元を離れて東京へ。レアーレのコーチが教えてくれた、サッカーコースのある通信制の高校に通いました。東京ヴェルディがスポンサーの学校で、勉強はあまり得意じゃないし、何よりサッカーコースがある、「ここだ!」と思って(笑)。両親が応援してくれたこと、東京の親戚に住まわせてもらえたことは、本当に有り難かったです。
―― レアーレを卒業し親元からも離れたんですね。東京に出てみてどうでしたか?
一番驚いたのは、挨拶のできない人が多いことです。レアーレは、挨拶をすごく大事にしていたので、高校に行ってびっくりしました。「挨拶ができるって当たり前じゃないんだ」と。
小学生の頃からずーっと挨拶のことを言われてきて、当時は「ここって、サッカーするところだよね? なんで挨拶、挨拶って言うの?」って思ったこともありました。でも、高校に入って、挨拶が当たり前にできる自分になっていて良かった、と思い始めたんです。
他にも、自分が外したボールは自分で拾いに行く。それも、高校では誰もできていなかった。誰かがボールを拾ってくれても「ありがとう」の言葉もない。「自分が、自分が」が当たり前な人が多いことに気づいて、「誰かのために」とか「感謝する」ってこういうことだったのかと、目に見えた瞬間でした。レアーレで学んだことは、サッカーももちろんなのですが、こういうことを学ばせてもらっていたんだなって、高校で気づかせてもらいました。
―― その言葉が嬉しい。なんだか胸が熱くなります・・・。
高校では、東京ヴェルディのコーチが指導してくださったのですが、みんなサッカーのエリートで素晴らしい方々ばかり。コーチたちも、挨拶はもちろんのこと、感謝することや人間性というところをやっぱり大事にされていました。一番思い出に残っているのは、高3の時にキャプテンの話をもらった時のことです。
―― キャプテン!!!
実は、最初お断りしたんです。これまでのキャプテンの姿を見ていて、チームを引っ張るとか、「自分には向いていないと思うので、キャプテンはできません」と監督に話しました。自分にそれを強いたら、僕がサッカーを「面白くない」と思ってしまいそうで、それが嫌だったんだと思います。すると、監督が「話そうよ」と言ってくださったんです。そして、キャプテンについてどう思っているのか、理想のキャプテン像ってどういうもの?など、僕の中にあるものを、具体的に、明確にしてくださって。
最初に思い描いていたキャプテン像は、ひたすら先頭に立ってみんなを引っ張る、一番走る、一番声を出す、プレイで見せる、そんなイメージでした。そういうのが好きじゃないから、迷いや戸惑いがありました。でも、監督と話すうち、キャプテンはチームの土台になるから、一番下で、陰で支えて仲間を動かすこと、そのイメージが浮かんできて、それならできるんじゃないかなと。みんなが支え合う中でのまとめ役、チームがピラミッドなら、一番下の土台がキャプテン。一番上で偉いんじゃなくて、一番下で押し上げるってことを、監督との話し合いから導き出せたんです。
失敗することは誰でもあるから、だったらやったほうが自分のためになる。チームのためにも、自分の成長のためにもなると思えて、「キャプテンやります!」と引き受けました。そして、自分だけではできないから、副キャプテンを2名同級生から出してもらい、話し合いながら進めることができました。「成長できた、やっておいてよかった」と今思っています。
サッカーは、人間性を磨かないと上手くならない。高校3年間では、人間性を重視するということの基礎を学ばせてもらったと思います。
―― コロナ禍でのチーム運営は、なかなか大変だったのではないですか?
緊急事態宣言が出た4月に予定されていたインターハイは中止になり、ようやく練習を開始できたのが6月でした。この状況で、いかにモチベーションを維持するか、チームづくりをどうしていくのかなど、いろんなことを学びました。経験できないことを経験できて、今となってはよかったなって思っているんです。
僕たちの学年には、いろんな意味で「エース」がいませんでした。だから、この状況下で、全員でチームの底上げを図る、チームづくりをしていくしかなく。本当にチームメイトに支えられて、イレギュラーだらけの一年を乗り越えられたと思っていて、感謝しかないんです。
僕はキャプテンでしたが、従来型のキャプテンらしいことはしなかった。それでも「チームになる、できる!」ということを証明できた学年になったと思っています。
―― そうした経験が、輝さんの笑顔の源泉なのでしょうね。
高校3年間はバイトもしました。サッカーが終わってバイトに行って、22時ぐらいに帰って来て、寝て、学校に行ってみたいな毎日でした。スポーツクラブでバイトしたのですが、他のスポーツをやっている人とか、いろんな人と繋がりができました。バイト先の方々も本当に良くしてくださって、人の繋がりが、これから先の人生において大切だと思えるようにもなりました。
バイト先で子どもたちにサッカーのことを教える時には、レアーレのコーチたちのことを思い出しました。こうやって教えてくれていたな、とか、確かにこれを言いたくなるけれど、子どもたちは聞かないんだよなとか(笑)。子どもの気持ちもコーチの気持ちもわかる、それをスポーツクラブで学ぶことができました。
―― その立場になって始めて「そういうことか」ってわかることありますよね。
僕自身、高校での3年間で考え方が180度変わったと思っているんです。
レアーレでは、常に挨拶とか感謝することを学ばせてもらっていた。実家では、親にいつも送り迎えしてもらいご飯も作ってもらっていた。東京に出て、全部自分でやらなきゃいけなくなって、初めて、いろんなことが「当たり前じゃない」ってことが見えてきたというか、実感できた。サッカーができることもそう。
それも、やっぱりレアーレでの日々言われてきたこと、やってきたことがあったから、実感に繋がったと思うんです。それがなかったら、こんなふうに考えられる自分にはなってなかった。挨拶にしても、ボール拾いにしても、他の人たちと同じようにダラっとして、それが当たり前みたいな感じになっていた、その可能性は僕にも十分あったと思う。
今もし「レアーレの強みは?」って聞かれたなら、「人間性だったり、人としてどう生きるかってことを一番学ばせてもらえること」って答えます。
―― 社会人になって、今もサッカーを続けていらっしゃいますよね。
はい、続けています。先日、彩さんにお会いした時に、僕はサッカーしかしてきていないから、サッカーを通して、社会貢献したいということを伝えました。すごく喜んでくれました。僕自身が、サッカーを通して夢を持たせてもらったので、今度は自分がそれをやる、自分の番。サッカースクールを開いたり、サッカーチームで教えたりしてサッカーをもっと普及させたら、サッカーを通した社会貢献、地域の活性化をしたい。一番の大きな夢は、サッカーチームを経営すること。
―― それは楽しみです!!!
サッカーチームといっても、地域密着で、地域のために動けるチーム。地域はまだ決めてないですけれど、自分の育った伊豆でもアリだし、どこかの地域の人たちを巻き込んで、応援されるし貢献する、っていうチームになれたら!
いつも僕は、「次はどこでサッカーしよう?」って思っていました。小学生の時は、中学生のチームができ、中学の時は、思いがけず東京に行くことになり。「次はどこでサッカーする?」そればかり考えて、次が見つかってきました。僕は「それで良かった!」と心から思っています。好きなことなら、とことん楽しめるし、それを通して成長できると思うから。好きなものを見つけるために、高校や大学に行くのもアリ。生き方は自由だということ。「夢を持つことが大切」ってこういうことなんだなと、高校生活と通して学ぶことができました。何か一つ、小さな夢でも大きな夢でも、そこに向かってやれば、何もかもポジティブに捉えられるのかなって。本当にそう思えるようになったら、勝ちだなと!
―― お話を聞かせていただきながら、輝さんに「レアーレに入ろうよ」って“2回”誘ってくれた友達に、「1回で諦めないでくれてありがとう!」って思いました。
そうですね(笑)。彼もそうだし、高校のコーチ、彩さん・・・。そうやって考えると関わってくれた人はみんな恩人です。友達は、今はサッカーやっていないみたいだけど、今度会ったら、自分から「ボール蹴ろうよ」って言いたいな、って思っています。
- 【プロフィール】
- Mitarai Kou
- 御手洗 輝
- 国籍:日本
- 生年月日:2002年5月27日
- ポジション:サイドバック
静岡県生まれ。小学4年生からサッカーを始める。
小学生から中学校まで6年間地元の「FC REALE」でプレー。
2018年、中央国際高校入学。サッカー部でプレー。
2021年から江の島FCでプレー、現在に至る。