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REALE VOICE Vol.5 ゴールキーパー 栗山優也

REALE VOICE Vol.5  ゴールキーパー 栗山優也

たくさんの人が希望を持って生きること。

その先に、レアーレワールドが目指す「調和した世界」が実現します。

夢と希望を与え、たくさんの人を導くのがヒーローです。

今、この時代だからこそヒーローが必要なのです。

ヒーロープロジェクトは未来を担うヒーロ―を育てるプロジェクトです。

1本のペットボトルが変えた人生

栗山優也選手インタビュー

栗山優也選手、21歳。

大学卒業を控え、進路選択を迫られる時期に彼は大きな決断をしました。

プロ契約を目指してネパールに行くと決めたのです。

そこに至るには、サントス理事との出会いや、彼のものの捉え方が大きく作用しています。

渡航直前の栗山選手にヒーロープロジェクトにかける思いと意気込みを聞きました。

彼がヒーロー候補に選ばれた背景とともにご紹介します。

エピソードゼロ〜栗山選手がヒーロ候補に選ばれた理由〜

―サントスの考えること

目的地にたどり着くための道はひとつではない。実は道はたくさんある。

サントスはそう考えています。

ネパールの厳しい環境のなかでプロサッカー選手としてプレーしてきた彼は、自らの力で道を切り拓いてきました。だからこそサッカー選手として上を目指すためには、グラウンドの中だけでなく、外でのあり方や考え方が大切だと言います。未来に確約などないけれど、人と関わりつながっていけば、道は拓けると断言します。でも残念ながら、そのことを理解する人間は多くありません。ヒーロー候補となる人間は、それを理解し体現できる者でなければならないのです。

―偶然なのか、必然なのか。

グラウンドで後輩と自主練をしていた栗山選手に「一緒にやろう」とサントスが声をかけたのがふたりの出会いです。栗山選手はゴールキーパー。2時間半、実践的なシュート練習が続き、彼は夢中でボールを追いました。途中、サントスたちが飲み物を持っていないことに気づいた栗山選手は、ペットボトルのスポーツドリンクを買って渡しました。人に分け与えるという彼の自然な行為がサインとなりました。サントスは栗山選手の中にヒーローの資質があると感じたのです。1本のペットボトルが栗山選手の人生を変えることになりました。

栗山優也選手インタビュー

幼い頃からサッカー選手を目指していたのですか。

はい。ずっとサッカー選手になりたいと思っていました。神奈川県の平塚市に住んでいて父に連れられて湘南ベルマーレの試合をよく見に行っていたので、サッカーが大好きだったんです。でも実は僕、小学生の頃すごく太っていまして。遊びでプレーしていましたが、 走り続けるのはしんどいと思っていました。本格的に始めたのは少し遅くて、中学生になってからなのですが、憧れの選手がきっかけになりました。そのキム・ヨンギ選手がゴールキーパーだったので、僕もゴールキーパーを目指すようになりました。

キム・ヨンギ選手のどんなところに憧れましたか。

ゴールキーパーは経験が求められるポジションなのですが、キム選手は大学卒業後の1年目からスタメン出場したんです。他にベテランの選手がいたし、本当にこの選手でいいのかという戸惑いがサポーターに広がっていくのを競技場にいて感じました。それはブーイングにも近い反応でした。でも、キム選手は2年目もフル出場して、試合を重ねながらサポーターの信頼を勝ち取っていったんです。とてもかっこよくてずっと憧れていました。

キム・ヨンギ選手とSNSを通じて交流があるそうですね。ネパールに行くことについても言葉をいただいたとか。

かつて目指していたJリーグではないので形は違うけれどネパールでプロを目指しますと伝えたんです。そうしたら「プロはプロ。形が違うなんてことはないし、誇りを持っていい。ケガに気をつけて頑張れ、応援しているよ」と言っていただいてうれしかったです。

それはとても励みになりますね。キム・ヨンギ選手が栗山選手にとってのヒーローなんですね。

小学2,3年生の頃、キム・ヨンギ選手の出待ちをしたことがあるんです。そのときに、「頑張り続けていれば誰かが見ているから、自分を信じて頑張れ」と言われたことが忘れられなくて。今回、改めてネパール行きを考えたときに、あの言葉は本当だったなと実感しています。偶然なのか必然なのかわからないですけど感慨深いです。

―今回、栗山選手の努力が認められてヒーロープロジェクトに選ばれたわけですが、オファーがあったときはどう思いましたか。

話をもらったときはびっくりしましたし、不安もわきました。それまで海外志向はなかったので。だからその日はいろいろと考えたのですが、翌日には行こうと決めていました。

―決断が早いですね。プロジェクトについて不安はなかったですか。

サントスや代表の彩さんと出会ってから打ち解けるのも信頼するのも早かったですね。何を目指しているのか、どんなサポートが受けられるのかなど、説明も明確にしていただいたからだと思います。何よりサントスのプレーヤーとしての存在は説得力があって、信用するには十分でした。だから、プロジェクトのことを知るにつれてワクワクしています。

―どうしてネパールに行くことを決めたのですか。

日本にいる自分とネパールにいる自分をそれぞれ想像してみたんです。そうしたら、自分の世界は自分で作れることに気づきました。何かをやって失敗したら責任を取るのは自分なんですよね。日本にいたほうがいいというアドバイスに従ったとして、失敗しても誰も責任は取ってくれないわけですから。だったら、自分の心が動く方を選択しようと思いました。

ネパール行きに心が動いたということですね。それだけサッカーが好きということもあるのでしょうか。

改めて振り返ってみたのですが、僕はサッカーの練習がどんなにしんどいときでも、つらいとは思うけれど、やめたいと思ったことはありませんでした。でも、大学4年になった頃、ケガの影響で、やめたいというのとは違いますが「やめなければいけないかも」という思いが始めて頭をよぎりました。体が思うように動かないし、いろいろ試してみたけどいい流れにもならなくて。リハビリに半年取られてしまい、プロにチャレンジするのは難しいと思い始めたんです。でも、大好きなサッカーをあきらめられなくて、進路を切り拓こうといろいろ考えました。

就職活動も視野にいれていたのだとか。プロ以外の選択肢も考えていたのでしょうか。

就職活動をするにあたってまず何をしたいか問われますが、それに答えるのが難しかったです。僕は今までサッカーを通してたくさんの仲間と出会ったり、彼らと喜びあったり、トレーニングに熱中したりしてきました。そういうものが他で得られるだろうかと考えてみたとき、思いつくものがありませんでした。当時、僕には2つの選択肢がありました。シフトチェンジするか、復帰できるかわからないけれど、またサッカーができるようにリハビリを続けるか。長い目で見たとき、シフトチェンジしたら後悔すると思いました。サッカーでしか表現できない自分があるし、自分を表現するにはやっぱりサッカーしかないと思ったんです。それに、サッカーを通してしか出会えない仲間というのは、僕にとって何ものにも代え難かったです。

でも、大学を卒業したら自分で生活をしていかなければなりませんよね。そのこととサッカーとのバランスはどう考えていましたか。生活の糧としてサッカーを選ぼうと思ったのでしょうか

プロを目指すことは軸としてありました。最初にダメでも、企業チームに入ってプロを目指すプロセスもあると考えていました。というのも、プロとしてやるにはきっかけやタイミングが大切だと思うんです。生活できるかどうかということより、僕はこれまでサッカーにすべてをかけてきました。だからプロの道に飛び込みたいと思っていました。でも、それがかなわないなら、指導者の道もあるかもしれないということは考えていました。

プロになれなくても、サッカーには関わっていたいと考えていたのですね。

なれなかった場合の対処は必要だし、なれたとしても、セカンドキャリアなども視野に入れておくほうがいいと考えていました。どんな方法や選択肢があるかわかっていれば挑戦も思い切りできると思ったので、情報は集めていましたね。それに、プロを目指すうえでも、自分を知ってもらおうと3年生から活動は始めていたんです。知人のツテで声をかけてもらったり、つながりができたりして、企業チームの練習に参加させてもらいました。

早い段階から先を見据えて動いていたんですね。手応えはどうでしたか。

実力的にはやれると思いました。でもチームの一員になったとして自分に何ができるかとか、何がやりたいのかを考えてみたとき、明確な答えが出せなかったんです。その状態のまま先へ進んだら自分に嘘をつくことになるのではないかと葛藤が生まれてしまって。

サッカーは実力の世界ですが、プロになるにはそれだけが要素ではないということですね。

実力はもちろんですが、タイミングもあると思います。実績も実力もある選手がたくさんいるのに、それでもプロになれるわけじゃない。プロになることの厳しさも目の当たりにしました。それで、プロを目指すにしても、別の方法があるんじゃないかと思って、自分をよりアピールしやすい場所を求めて活動していました。

日本とネパールを比較したとき、海外であるネパールのほうが多方面でハードルが高いようにも見えますが、それについてはどうですか。

地域リーグの現状を考えると、日本にはたくさんのチームがあり、たくさんの選手がいます。そこに身を置けば、僕もそのたくさんの中のひとりになってしまいます。でも、ネパールリーグに挑戦した日本人はまだ2,3人しかいません。人がやっていないことだから、切り拓けるのではないかと思いました。そこで活躍して成果を出せたら、そのほうが目立ちますよね。海外で活躍する日本人がいるぞと注目もされるでしょう。そこに可能性を感じました。選手として成長するには、人間としても成長しなければならないと僕は考えています。その面で、日本に留まるよりは、言葉も文化も違う未知の環境で挑戦するほうが成長できると思いました。

高揚感が伝わってきました。サッカーをプレーするだけでなく、人間として成長するためにネパールへの挑戦に心惹かれたというのがよくわかります。

僕は、昔から人と同じことをするのが嫌いな性格なんです。それに、人と同じことをしていては抜きん出ることができないし、負けてしまうという思いもあります。だから、自分が心動かされることをやりたいんです。

でも、サッカーは集団スポーツですよね。

自分の軸はしっかり持って、合わせるところは合わせるようにしています。チームメイトであっても、目的はメンバーそれぞれ違うし違っていい。勝利を目指すという共通点さえあればいいと思うんです。僕はキャプテンをやった経験から、人に歩み寄ることを学びました。何についても必要な部分とそうでない部分の判断をするようにはしています。

経験からの学びはもちろんだと思うのですが、栗山さんの考え方は誰かに影響を受けているのでしょうか。

母には祖父に似ていると言われます。祖父は会社を一から立ち上げた人で、その会社は今も続いています。僕にはすごくやさしかったのですが、祖父は決めたことは絶対にやる人で、考えを曲げないし、自信がある人だったそうです。僕が高校を卒業する頃に亡くなったのですが、それは僕にとって転機でした。祖父の死を悲しんで泣いている大勢の人を見て、祖父はすごい人だと感動したし、人のありがたさも感じました。自分も死んだときに人に泣いてもらえるような人になりたいと思いました。そこから人に対する考え方が変わりましたね。人には笑顔で接しようとか、やさしくしようとか、人間関係を大切にしようとか思うようになりました。我が強いだけじゃダメなんだなと感じたんです。

それは大きな影響ですね。例えば、お祖父様から言われて覚えている言葉などはありますか?

とてもかわいがってもらいましたが、あまり話はしなかったんです。でも「頑張っていれば見てくれる人がいる」と言われたのは覚えています。

キム・ヨンギ選手の言葉が重なりますね。今回、頑張りが認められてヒーローに選ばれたわけですが、何か周囲の変化などはありましたか。

周囲の反響がすごかったです。SNSで発信したときに想像以上に波及していて驚きましたし、影響力を感じました。一方で、海外に行くことで、こんなに対応が変わるのかという面もありました。でも、この関係は本物だなと確認できたり、今後付き合って行くべき人が見極められたりもしました。

―サントス理事との出会いは大きかったですね。

はい。まだすべてはこれからで何をつかんだわけでもないですが、自分の方向性が合っているという確信がわきました。それに、サントスと出会ったことで、彼が33歳であれだけやれるのだから、僕だってサッカー選手としてもっとやれるだろうという励みになりました。

―サントス理事からはどんな言葉をかけられましたか。

とにかくあきらめないこと。プロ契約ができるかできないかよりも、ネパールで出会う人たちや経験を財産と思えるようになることが大切だと言われました。いろいろ経験していろんな感情を味わって、コミュニケーションをとりながら人とつながっていきなさいと。どんな人たちがどんな暮らしをしているのか、それを知るのと知らないのとではあとの人生が変わってくるよとも言われました。

なぜご自分がヒーロー候補に選ばれたと思いますか。

1本のペットボトルがきっかけにはなりましたが、僕にとってあれは突発的にやったことではないんです。僕はありがたいことに愛されて育ちました。まわりの人にもよくしてもらいました。だから、人に対して何かをするというのは、僕にとっては子どもの頃から当たり前のことなんです。あのときも、ペットボトルをあげた人が今度は他の人にあげてくれたらいいなぐらいの気持ちでした。でも、日頃のあり方がいざというときに出てチャンスにつながったわけですから、継続が大切なんだなと思います。サッカー以外でも大切にすべきことはたくさんあるということですよね。サッカーのプレーだけが基準なら、僕ではなく他の人だったかもしれないですから。

納得です。いつどこで何があるかわからないからこそ、一日一日が大切なんですね。では最後に、ネパール渡航を前にした意気込みを教えてください。

プロになるまでは帰ってきたくないです。お金をもらえるプロになって、ネパールの子どもに夢を与えたいですし、目標としてもらえるような選手になりたいです。日本の子どもたちには、自分の経験を伝えて鼓舞したいですね。僕を見て、自分も頑張ろうと思ってもらえたらと。

―ありがとうございました。

【プロフィール】
栗山 優也(くりやま ゆうや)

  • 出身:東京
  • 生年月日:2000年3月29日
  • ポジション:ゴールキーパー
  • FC. PROUD(東京都)に所属し中学からサッカーを始める。
  • 駿台学園高等学校で第96回全国高等学校サッカー選手権大会 東京都予選ベスト8。
  • 静岡産業大学サッカー部にてプレー。現在に至る。
取材を終えて

「これよかったらどうぞ」。待ち合わせ場所に現れた栗山選手は、初対面の私に満面の笑みでうなぎパイを差し出してくれた。1本のペットボトルが彼の人生を変えたのを一瞬で納得した。

会話においても、ひとつ言葉を投げかけると、それを受け止め、ふたつ、みっつと投げ返してくれる。変化球やカーブを投げてみるが、見事に真っ直ぐに打ち返してくる。しかも安定感がある。それは彼が思考しているからだ。彼は常にいろいろな方向で考えてから答えを出す。栗山選手だけを見ていたら、日本の未来は明るいのではないかと錯覚してしまうほど気持ちのいい好青年だ。会話中の頻出ワードは、笑顔、感謝、頑張る。人はときに自分をよく見せたがるから、こういった言葉が浮ついて聞こえることがある。でも断言する。彼の言葉に嘘は1ミリもなかった。悔しいほどに、彼は心からそう思っているのだ。

祖父、キム・ヨンギ選手、サントス理事。彼の人生をたくさんの人との出会いが彩っている。それは、彼が自分に向けられた言葉を受け止め、思考し、タイミングを逃さずチャンスをものにしていくからだ。その瞬発力やキャッチ力は、さすがゴールキーパー!と拍手を送りたいほどである。

彼がネパール行きに心を弾ませているのが、会話からも様子からもひしひしと伝わってきて、こちらまでウキウキさせてもらった。これからも彼は多くの人と出会い、さまざまな経験をしていくに違いない。果たしてどこまで行くのだろうかと楽しみだ。インタビュー後、メールでお礼を伝えたら、「僕はものすごく幸せ者です。感謝だけは忘れず自分を見失わずやっていきます!!」と真っ直ぐな返信が来た。

私は今、そう遠くない未来にヒーローが誕生することを確信している。

Text by Aiko Shiochi